所沢の町場と飛行場






 今は市民の憩いの場となっている『所沢航空記念公園』、ここは日本初の飛行場でした。
この所沢はかつて、飛行場のまちとして栄えていました。



 所沢駅からの商店街は「プロぺ通り」これはプロペラのプロぺです。
 さらに進むと「ファルマン通り」これは明治44年に所沢飛行場で初飛行したアンリ・ファルマン機の名前からとっています。
 ファルマン通り交差点から航空公園方向へ向かう道は「飛行機新道」です。
 これらの通りがみんな飛行機に関連する名前なのは、かつて所沢が飛行機のまちとして栄えていたからなのです。

 明治44年(1911年)4月1日、日本初の飛行場として陸軍所沢飛行場が開設されました。
 同年4月5日午前5時37分、フランス製複葉機アンリ・ファルマンを操縦する徳川好敏大尉は、この所沢飛行場での初飛行に成功しました。
 高さ10メートル、距離800メートルを1分20秒で飛行・・・!!
 当時は連日飛行練習が行われ、町内はもちろん町外からも多くの人びとが見物に訪れ、お祭り騒ぎだったとのことです。

 大正8年1月には、フォール大佐を中心としたフランスの教育使節団が来所、所沢駅に到着すると花火を打ち上げ、小学生はフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を合唱し、町民あげて歓迎したそうです。また、同年には陸軍飛行学校も開校しています。

 このような歴史的経緯を持つ所沢は、明治から昭和20年の終戦まで、日本の航空技術の発展を支えてきたまちであり、「日本の航空発祥の地」と位置づけられています。 
 
 
古典機の模型(実寸の1/48)、写真など当時の飛行機に関する資料が展示されています。
 
今回の展示は、飛行機関係の写真集 『雄飛』 の出版を記念して企画されました。喜多川写真館に残る当時の飛行機の写真は、航空機の研究家にとっても貴重な資料となっています。
 
「喜多川写真館」の前館主の喜多川秀夫さん(故人)が撮りためた貴重な写真です。 喜多川秀夫さんは、写真の技術と人柄を買われて、当時唯一飛行場の写真撮影を許可されていました。
 
大正4年に撮影された飛行船「雄飛号」。
所沢特産のお菓子梅月の雄飛焼は、雄飛号の形を模したもので、お土産に最適です。

井筒屋の土間を見上げると、飛行船の模型が飛んでいます。
小鷹和美さんより模型飛行機のコレクションをお借りしています。
この飛行機は、ブレゲー14。

展示してある飛行機はすべて実寸の1/48の模型です。
これは、スパッドZ。
手前がアンリ・ファルマン、奥がハンス・グラーデ
 
手前から、ニューポール24、ソッピース1・1/2ストラッター、サルムソン24
所沢飛行場ができ、飛行機や飛行船が飛びはじめると、連日多くの見物客がやってきました。この絵は、そのようすを北沢楽天が描いたものです。

右の「所沢飛行場拝観券」は飛行場ができたころのもので、一人10銭の料金をとっても、満員の見物客で賑わったそうです。
 
登坂宏さんからは、航空関係の絵はがきや切手、書簡などのコレクションをお借りできました。
左は、所沢生まれの歌人:三ヶ島葭子が詠んだ飛行機関連の歌を紹介しています。


4月17日と24日には「飛行場と町場」をテーマにしたおはなし会が催されました。
写真は24日のおはなし会のようすです。
 

 
 
髭爺こと三上さんの飛行場ができてからの所沢のまちの変遷のお話で始まりました。

会場となった井筒屋の土間は満員で、みな熱心にお話を聞いていました。

今回の企画に尽力された井上さん(左)と、飛行場のことを語る松本さん(右)

 
 
喜多川写真館の喜多川方暢さんは、父秀夫さんの思い出話を語ってくれました。

当時食べた人が今でも忘れない雄飛焼の話をしてくれた梅月さん、雄飛焼ごちそうさまでした。

美好軒の河田女将は、フォール大佐の写真の脇で、洋食を受け継ぐ人の不思議な縁を話してくれました。

 
 
登坂さんは、収集した絵はがきや切手を見せながら、所沢と飛行場について話してくれました。

飛行機を点検修理していた島田さんは、そのころの思い出をいろいろ語ってくれました。

最後は、所沢航空資料調査収集する会会長の越阪部四一郎さんが軍歌でしめてくれました。




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